忘れることのできないあの振動
阪神・淡路大震災から30年
前日からネットのライブ配信で今年は追悼式典等を見ていました。
今年は幾人も震災を経験していない子供達が東遊園地のつどいに足を運んでいるようでした。
震災で亡くなられた多くの方々、心からご冥福をお祈りいたします。
昨年は1月1日に能登半島地震が起こり1.17にどうしても文章を書くことができませんでした。
29年前の1月17日午前5時46分に阪神・淡路大震災の
あの振動が頭から離れませんでした。
ああ…あれから30年も経ったんだなあ。
何とも言えない気持ちが湧き上がってきました。
震災から30年ということもあり当時を思い起こす映像が沢山流れていました。
とても複雑な気持ちではありましたが当時渦中にいたのでどのように全国に地震の速報が届いていたのか、どのように報道されていたのかが30年経って初めて知ることもありました。
今思えばあの年から色々な日本の情勢の変化もあったのではないかと感じました。
昨年能登半島地震の被災者の方々はどのような1年を過ごされたのだろうかと…
神戸の地で天皇陛下のお言葉を聞いておりました。
追悼のつどいで灯籠を並べてつくる文字は『よりそう』でした。
30年前の震災や能登半島地震の被災地などに寄り添う思いが込められていました。
昨年も同じ気持ちでこの文章を書いていました
震災を通して心を痛められているすべての方々へ
どうか悲しみで心を重くしないでください。
どうか心を軽くして温かさを感じてください。
明るいひかりが在ります。
私たちはまた大きな地震を経験するのかもしれません。
30年経って思ったことですが
『震災を乗り越える』
ということがどういうことなのかが分からないのです。
ただ本当に
貴重な経験でした。
そして
私の場合は30年経っても今に大きく影響している経験の一つです。
私たちはまた大きな地震を経験するのかもしれません。
ただ私たちはまた経験するのです。
ただ私たちは今を経験するのです。
今年の1.17は特別な思いで1日を過ごしました。
千尋